船橋を何気なく歩いていたら、謎のお寺を発見しました。
入口はどう見ても個人の家といった感じの作りですが、中はちゃんとお寺なのです。
入ってすぐ右には、妙清尼修行影像などが安置されていました。
妙清尼とは、文禄の役の際に黒田長政の家臣である林直利が朝鮮から連れ帰った幼女(戦争孤児・後に出家)だそうです。
妙清尼の情報が少ないどころか、この寺の情報がほぼ無いのは、朝鮮絡みだからなのでしょうか?
入って左にはお稲荷さんがありました。
岩のせいか、結構迫力があります。
その並びには大慈堂という小さなお堂がありました。
中には観音様が安置されていました。
本堂の前には、弘法大師一千百年御遠忌報恩塔などなど。
ええと、皆様、すみません。
なんて名前のお寺なんだろう…と思い、寺額を見ようと本堂に近付いたら、結構大きな音でピーンポーン!とチャイムが鳴ったので、焦って逃げてしまいました。
なので、この寺の名前は不明です。むしろ、場所も不明です。なぜか全く思い出せません。
いつかまた探しに行って、チャイムにビビらずに、じっくり見させていただこうと思います。
ということで、皆様、よいお年を!
入口はどう見ても個人の家といった感じの作りですが、中はちゃんとお寺なのです。
入ってすぐ右には、妙清尼修行影像などが安置されていました。
妙清尼とは、文禄の役の際に黒田長政の家臣である林直利が朝鮮から連れ帰った幼女(戦争孤児・後に出家)だそうです。
妙清尼の情報が少ないどころか、この寺の情報がほぼ無いのは、朝鮮絡みだからなのでしょうか?
入って左にはお稲荷さんがありました。
岩のせいか、結構迫力があります。
その並びには大慈堂という小さなお堂がありました。
中には観音様が安置されていました。
本堂の前には、弘法大師一千百年御遠忌報恩塔などなど。
ええと、皆様、すみません。
なんて名前のお寺なんだろう…と思い、寺額を見ようと本堂に近付いたら、結構大きな音でピーンポーン!とチャイムが鳴ったので、焦って逃げてしまいました。
なので、この寺の名前は不明です。むしろ、場所も不明です。なぜか全く思い出せません。
いつかまた探しに行って、チャイムにビビらずに、じっくり見させていただこうと思います。
ということで、皆様、よいお年を!