⚠️メンテナンス中⚠️狭いベランダは我が森ぞ

言いたい放題な生息記録

タグ:跡地

先程、葛飾神社の看板に『大正五年一月十三日、一郡総社葛飾大明神を千葉県東葛飾郡葛飾村本郷一四一番地(現船橋市文化財西船六丁目葛羅の井戸)(昔、葛飾大明神御手洗の井戸)の西側台地より此の地に奉遷奉斉し』とあったので、葛羅の井戸へも行ってみることにしました。

ちず


葛羅の井戸を目指し、ひたすら進むと、目印となる巨木が見えてきました。

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市の名木10選に選ばれた、船橋市最大の欅(ケヤキ)です。
ここに葛飾神社があった頃は御神木だったそうです。

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看板によると、昔、葛羅の井戸の水脈は竜宮界まで通じていると言われていたそうです。
また、どんな日照りの日にも水が涸れることはなく、水を飲めばマラリアが治るとも言われていたそうです。
見たい!飲みたい!(マラリアじゃないけれど)さっそく井戸へ向かいます。

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巨木と民家の間に敷かれた飛び石を辿って細道を入っていくと…

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ありました!これが鎌倉時代からの名泉、葛羅の井戸(葛羅ノ井)です!
昭和40年には市の指定文化財に指定されています。
飲むのは絶対にやめたほうがいい色ですが、なんとも深みのある美しさ!

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石柱と鎖で囲まれているせいか、夜中に光って何かが出てきそうです。
もしくは、呪文を唱えるとゴゴゴゴゴ→水が無くなる→お宝発見。

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第二次大戦後、散歩中の永井荷風が雑草の中から発見したこの石碑の側面には、文化9年に大田南畝が詠んだ『下総の勝鹿(葛飾) 郷は栗原に隷す 神はにぎを祀る 地は醴泉を出す 豊姫の鋻する所 神龍の淵 大旱にも涸れず 湛乎としてこれ円なり 名づけて葛羅と曰う 絶えざること綿綿たり』という一文が刻まれています。

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側面の写真を撮り忘れたので、先程の看板を参照。

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それにしても、飲める湧水や川の水なんてものはこの辺りには無いのかと思うと、何とも言えない気持ちになりますね。
でも、こうして場所が残されているだけでも、とても嬉しいです。

14号から住宅地へ少し入った辺りに、気になる一画がありました。
ブロック塀で囲まれた中に、石塔や石祠が。

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入ってすぐ左に、『無線電信所道』と彫られた大きめの道標がありました。
おお~これは私が先日行った、行田の海軍無線電信所(跡地)への道標じゃないですか!

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写真がわかりにくくてすみません。
右側面には『従是北八百餘間至無線電信所』『大正六年行啓ヲ奉迎ニ付國縣郡費補助ヲ受耕地會沿道民ノ寄附並村費等金四千餘円ヲ以テ葛飾村ニ於テ大改修工事ヲ施行セル記念ニ建之』とありました。
大正6年、皇太子殿下(のちの昭和天皇)ご訪問の際に、道路の改修記念として建てられたということです。

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帰ってから調べたら、この道標は当時ここより100mほど南側の国道14号線から印内・寺内へ行く分岐点の角に建てられていたそうです。
ちなみに、左側面には『東 船橋方面ニ至ル』『西 市川方面二至ル』と彫られていました。


入って右側には手水がありました。
抹茶のような色の水に、可愛らしい花が浮かぶ。ただそれだけで絵になるなあ。

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石祠は昭和51年9月に再建されたもの。何が祀られているのかは不明です。

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庚申塔は寛政12年11月に建てられたもの(中台と芝台は平成14年10月に改修)で、『是より かまがやみち』と記されていました。
こちらも元は別の場所にあったはずです。

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敷石は平成14年11月に奉納されたもの。

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こちらは何も記載が無く、どういった物なのかわかりませんでした。
詳しい人がいたら教えてくださるとありがたいです。

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こちらも、崩壊が激しめなのでわからず。
裏の記載で明治27年2月に建てられたことはわかったのですが…

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病院の帰り、まだ日が暮れるまで時間があったので、探検を始めました。
まずは14号沿いの勝間田公園へ。

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先日、ゲエロの池にかつては美しい湧水があったと知り、感動したわけですが、ここもそういった場所なのです。
湧水が多かった頃、ここは『本郷溜』と呼ばれ、農業用の溜池として使われており、江戸時代後半に『勝間田の池』と呼ばれるようになったそうです。
広い公園の奥に、すっかり枯れた池があるのですが、それは池跡の一部。私が子供の頃は、まだ少し水があってタニシのような貝がたくさんへばりついていた記憶があります。

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また、昭和30年頃、池の浚渫の際には、壷(5世紀前葉の五領式土器)が二個発見されたそうです。
祭祀用に置かれたものと憶測されています。

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公園内の石碑を見てみます。

こちらは歌人、大橋松平(船橋で亡くなった)の碑文。
 『しげやまの尾根をはひゆく雲みれば晴れたるかたに移りつゝあり』

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こちらは月刊俳誌『新葉(のちに鴫と改名)』の創刊者、田中午次郎の句碑。
『秋刀魚焼く 羅漢のごとき 吾が貌見よ』

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公園内には子供達がちらほら遊んでいましたが、遊具で遊ぶよりも、ゲーム機を持ち寄って一ヶ所に固まっている子が多かったなあ。

川を挟んでのコントラストが激しいバラック小屋ゾーンは、まだまだ続きます。

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地盤も悪いので、こうして川のほうへずり落ちている廃屋が目立ちます。

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ここも撤去跡でしょう。他の廃屋が撤去されるのも時間の問題か…

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こちらは、玄関前の植木鉢の様子からまだ人が住んでいるような気がして、チャイムが無いので何度かノックしてみたのですが、応答はありませんでした。

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ちなみに、水路(澪)は、海から魚を運ぶための水路として使われていたそうです。

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水門に突き当たる前に、もう一軒発見できました。

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水門まで来ました。『船橋市・山谷水門』です。

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今度はこっち側の川沿いを歩いてみます。

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一応ちゃんと道があります。

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しかし、薄が生えているからといって横へ出てはいけません。下は泥沼状態です。

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さっき見た廃屋の裏側が見えました。
竜巻にでもぶん殴られたかのように、崩壊しています。

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鴨のカップルがいたので、しばらく観察していたら…

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白い大きな鳥が飛んできました!

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ああ、荒れ放題のこの場所も、いや、この場所だからこそ、こうして鳥が一羽下り立つだけで素晴らしく美しい風景だ…

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この穴が気になりました。昔は住宅街側へも水路が伸びていたのでしょうか。

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画像ではわかりにくいですが、小魚がたくさんいました。

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タクシー会社の横に到着。これで今回の探検はお終いです。
って、事故車が!最後の締めはこれかい。
このバラック群、後日もっとじっくり見て、またUPします!

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※いくつか撮り忘れたので、二日連続で行っちゃいました。

ついに、船橋で最も気になっていた場所へ向かいます!
南本町44番地。放棄された塩田跡地に、強制疎開によって現東京都江東区辺りから移住してきた方々が集落を作った場所。戦後も都内からの引揚者が住み、都疎浜と呼ばれた場所です。
現在も不法に放置されたままのバラック群(いくつかは崩壊し撤去された)は、水路沿いに続いています。


その前に、まずはこちらをご覧ください。
真新しく都会チックなタワーマンションがドーン!

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この辺りではこういったピカピカのマンション等が目立ちます。
ボロボロのバラック小屋なんて絶対に無さそうな雰囲気。

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しかし、すぐ横の水路沿いに、それらはあるはずなのです。
さっそく千葉街道から外れ、水路に沿って歩いてみます。

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これまたピカピカの一軒家が立ち並び、「うーん、もう全部撤去されちゃったのかな?」なんて思いながら歩いていたら、ありました!
ほとんど植物に飲み込まれていますが、一軒目発見です。

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今月末までに撤去しないと廃棄物として処理しますよ的な看板が。
無くなる前に来て良かったです。

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裏側はこうなっていました。

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すぐに二軒目も発見。

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本当に、『あっち側』とのコントラストが凄い。未来と過去のような。

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横から見たら、もはや壁がありませんでした。

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立入禁止の看板。以前はここにも小屋があったのでしょう。

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川には鴨が泳いでいました。

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またまた発見です。

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少し開けっ放しの窓から、『けいさつ用語・人を見たら泥棒と思え!』『火の用心』という手書きの貼り紙が。

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横には放置自転車がありました。建物の崩れ具合もよくわかります。

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錆びた看板と謎のドラム缶。

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次々と廃屋が現れます。

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えっ?何これ。なぜシャッターが三角に切り抜かれているのでしょうか?

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うわっ!横から見たら、火事の跡が!

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そして、女郎蜘蛛がいました。

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